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サイト運営者より

 この度サイトを作成しました春野海と申します。書家として生きた父、春野かそいは、2024年3月に亡くなりましたが、多くの作品をこの世に残しました。父は生前「春野かそい記念館」などインターネット上に自らの作品を投稿していましたが、サイトが見にくいと感じた私は、父が残した貴重な財産を、多くの人に伝わるような形にしたいと考えました。また、父は作品だけでなく多くの論考やメモを残しました。これらを自分たちだけで持っているのは勿体無いと考え、野のはな書道会のご協力も賜りながら、父の作品や論考を公的な場で公開することにしました。ご協力いただいた方々ありがとうございます。

 私は息子として父とプライベートで話す機会が多くありました。食卓では様々な話題があがりました。芸術論をひたすらに聴くこともありましたし、たわいない話をすることもありました。特に、政治的な立場に関しては私と全く考えが異なり、生前は喧嘩のたえない毎日でした。しかし、そのような議論の中で、私自身も自らに問いかけ、深く思考する習慣がつきました。議論は結局平行線のままではありましたが・・・。

 私は父が息を引き取り、遺骨になるまでの過程を見守ることができました。亡くなった直後は、生きていた人間がいなくなることが受け入れられず、父はどこに消えたのかひたすらに考えました。遺体について扱った書籍を読み漁り、たどりついた結論は、父の体は機能を失い、焼かれて骨だけになり、​心は消えたという考えです。

 一方で、魂やその人間が生きた証は、この世に様々な形で残ります。数々の芸術作品がまさにそれです。父の魂は書作品の中に生き続けています。私は書道に関しては素人なので、詳しいことは分からないのですが、書道には始まりと終わりがあり、筆の流れた痕跡が残ります。そこに、作者が確かに生きた時間が刻まれているように感じます。ただ、作品もいずれ汚れ、あるいは破損、紛失などし、姿を変えていきます。しかし、このサイトや書展で作品に触れたみなさんに、何らかの変化が起きれば、そこに作品の価値が生まれると思います。例えば、春野かそいの作品に影響を受けた芸術家が自らの作品を生み出した、とか。それから、春野かそいの書のテーマには「愛」や「生」、「死」がありますが、こうした誰もが避けて通れない人生のテーマについて、作品や解説、論考を通して考えた、とか。こうした精神的・心理的な変化が鑑賞者に起きれば、そこに作品が存在する価値や意味があると言えますが、逆に何も変化がなければ、その人間にとって価値のない作品ということになると思います。

 このサイトを通して多くの方に作品や論考を知っていただければ幸いです。

​令和7年2月 

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